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【山口県】【ふく料理】とは?「ふぐ」と違うの?歴史を解説

中国・四国地方
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山口県の郷土料理

「ふく料理」とは「ふぐ」を刺身、ちり、から揚げ、ひれ酒、雑炊などにした山口県の郷土料理です。山口県では「ふぐ」の事を「ふく」と呼びますが、これは縁起を担いで「福」の意味で呼ばれるからです。山口では「ふぐ」は「不遇」、「不具」の発音になって縁起が悪いので、幸福を呼ぶ「ふく」と呼ばれるようになったのです。

山口県では下関が「ふく」の産地として有名で、下関市の唐戸市場や南風泊(はえどまり)市場には山口県内だけでなく全国各地や海外から「ふぐ」が集まります。下関市内には数多くの「ふく料理」店があり、手頃なふぐ定食や本格的なコース料理などを味わえます。

「ふぐ」は天然物は貴重で高価ですが、現在は養殖物が大量に生産されており比較的手頃な値段で入手できます。最近では「ふく汁定食」、「ふくの唐揚げ」、「ふくコロッケ」など普段の食事でも気軽に食べられる料理が生まれ、「ふく料理」の普及に貢献しています。

唐戸市場
Karato-market / by cotaro70s

 「ふく料理」のメニュー

代表的な「ふく料理」といえばやはり「ふくさし」で、大きな皿に模様が見える位に身を薄く切って菊の花の様に綺麗に盛り付けます。模様が見えるほど薄く切るのは、「ふぐ」の身は繊維が強いのであまり厚く切ると噛めないからです。「ふく刺し」はわけぎ、紅葉おろし、橙酢などをつけて食べるのが美味しいです。

また、「ふくちり(てっちり)」も「ふく料理」の代表的料理です。「ふくちり」は昆布と「ふく」のアラで出汁をとり、鍋で「ふく」の切身、白菜、春菊、豆腐、ネギ、エノキ、人参などをいれて煮込む鍋料理です。「ちり」とは「魚の切身」を指し、「ふくちり」とはつまり「ふく」の切り身の鍋料理というわけです。昆布とアラだけで十分な出汁が出るので、「ふくちり」の出汁は透き通っていて淡白な味になっています。

ふぐ料理
ふぐ料理 / by Nan-Cheng Tsai
ふく(ふぐ)
pufferfish / ふく(ふぐ) / by woinary

「ふぐ」の毒は超危険、調理には免許が必須

ふぐ
by Mori Chikako

「ふぐ」は山口県では「福」を呼ぶ「ふく」と呼ばれていますが、実際はとてつもない毒を持つ魚です。大阪では「ふぐ」の事を「てっぽう」と呼び、これは「ふぐ」の毒が当たると最悪亡くなってしまうのほど毒が強い為に、鉄砲が当たると死ぬからという意味で名付けられたのです。

「ふぐ」は卵巣や肝臓などにテトロドトキシンと呼ばれる猛毒の成分を含んでおり、その毒性は青酸カリの約1,000倍ともいわれるほど恐ろしいものです。毎年、全国ではフグの食中毒事件が発生しており、厚生労働省の食中毒統計資料によれば平成12年~平成21年までに338件、患者数491人、死者数23人となっています。内訳をみると飲食店等で提供されたものを食べた事により発生した事件もありますが、家庭で料理したものを食べた事による発生した事件がより多くなっています。

「ふぐ」を食べるには当然毒を取り除かなければなりませんが、これには相当の知識と技術が必要であり、「ふぐ」を取り扱うには「ふぐ調理師(ふぐ取扱者など呼称は各都道府県により異なる)」の免許が必要です。「ふぐ」は相当の知識と技術を持つ「ふぐ調理師」によって適切に処理されたものは問題ありませんが、素人が生半可な知識と技術で扱うのは厳禁なのです。

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「ふく料理」の歴史

強烈な毒を持つ「ふぐ」ですが毒を含む部位以外は非常に美味しく、古来より「ふぐ」は食用にされてきました。日本全国はもとより山口県下関市安岡の貝塚には約2,500年前のフグの骨が出土しており、縄文時代の頃より「ふぐ」は食べられていたようです。

安土桃山時代には豊臣秀吉が天下を支配し、朝鮮出兵で日本中の武士が九州に集結した際に多くの武士が「ふぐ」を食べて食中毒になったともいわれています。「ふぐ」の食中毒によってあまりにも多くの死者が出た為に、「河豚食用禁止令」が布かれたと伝えられています。

江戸時代になっても各藩で食用禁止となりましたが、長州藩(山口県)では食用禁止の法度を犯せば家禄没収、家名断絶という大変厳しい処罰が下されました。こうした禁止令や処罰の根底には、武士の命は主君の為に捧げるのであって、自分の食い意地の為に「ふぐ」を食べて死んでしまうなど武士として恥であるといった考えがありました。むやみに死者を出す事を避けるためだけではなく、国の戦力の要ともいえる武士を失わない為の措置でもあったのです。

こうして長い時代食用禁止されていた「ふぐ」ですが、禁止が解かれたのは明治時代になってからです。初代内閣総理大臣の伊藤博文が山口県を訪問した際に内緒で出された「ふぐ」料理の美味しさに驚き、山口県知事に働きかけて明治21年(1888年)に山口県だけ解禁になったのです。

その後、徐々に各都道府県でも「ふぐ」の取り扱いに関する条例が制定され、危険な部位を取り除くなど適切な処理をした場合に限り食用にできるようになりました。

「ふぐ」の集積地「下関」

山口県下関は古来より「ふぐ」の水揚げや取引が行われる場として栄えてきましたが、現地の水揚げが減った今でも国内最大の「ふぐ」の集積地です。下関には国内で水揚げされる天然のトラフグやクサフグなどの約80%が集まり、また熊本県や長崎県などで養殖されるフグも運ばれてきます。国内はもとより中国や韓国などの海外産のフグも国内に流通する前にまずは下関に集まります。

下関が「ふぐの集積地」としてこれほど大きな役割を果たしているのは、やはり「ふぐ」の取引、処理、加工など「ふぐ」を扱う上であらゆるノウハウが下関に集結しているからです。「ふぐ」は美味ですが猛毒を持っており、取り扱いには高い知識、技術、経験が必要です。下関は「ふぐ」の産地として市場、処理・加工業者、飲食業者、流通など「ふぐ」に関するあらゆるノウハウが備わっており、他地域では代替できないというわけです。

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