和歌山県の郷土料理
「鯨の竜田揚げ」は鯨の切身を醤油や生姜などに漬けて下味をつけて片栗粉をまぶして油で揚げた和歌山県の郷土料理です。外側はカリカリに揚げてありますが中身は柔らかくて、冷めても美味しいです。
鯨肉は牛肉、豚肉、鶏肉よりもタンパク質が多く、コレステロールも低いヘルシーなお肉です。鯨には様々な部位がありますが、大半を占めるのが赤身です。赤身は新鮮なものは刺身にもできますが、通常はステーキやカツ、そして定番の「竜田揚げ」に使用されます。
「竜田揚げ」の由来と唐揚げとの違い
「竜田揚げ」とは鯨肉だけではなく鶏肉や魚などをしょうゆやみりんで味付けして片栗粉をまぶして油で揚げたものを指します。「唐揚げ」と「竜田揚げ」は似ているようですが、「唐揚げ」は食材を素揚げもしくは小麦粉や片栗粉をまぶして揚げるだけに対して、「竜田揚げ」は調味料で味付けしてから揚げる事に違いがあります。
「竜田揚げ」は紅葉の名所である竜田川に浮かぶ紅葉が肉の赤色と衣の白色の混ざった様子に似ている事から名付けられたといわれています。
捕鯨の町「太地町」の歴史
紀伊半島東側に位置する和歌山県東牟婁郡太地町は日本の古式捕鯨発祥の地として知られる全国的にも有名な捕鯨の町です。
捕鯨の歴史は古く、古来より日本各地で鯨を捕獲して食用にした記録がありますが、組織的、商業的に船団を組んでの捕鯨は和歌山県太地の和田家一族の和田頼元が最初といわれています。
江戸時代の1606年に捕鯨専業組織である「鯨組」が設立され、和田一族を中心に刺手組と呼ばれる団体が構成されて太地浦を拠点に組織的な捕鯨が行われるようになりました。1675年(延宝3年)には和田頼治が「網捕法」と呼ばれる鯨を網に追い込む捕鯨法を開発して捕鯨団体が組織されました。
こうして江戸時代から長年に渡って組織的捕鯨が盛んに行われていましたが、明治時代になって近代化の波が負い寄せると捕鯨にも産業化、機械化がされるようになり、捕鯨銃による沿岸捕鯨、鯨解体場、鯨基地、鯨缶詰工場の建設などが行われる様になりました。
太地町の捕鯨を中心とした水産業はこうして発展を遂げましたが、現在は国際的な商業捕鯨の禁止の影響で太地町の捕鯨業は急速に縮小してしまい、日本政府の管理下の調査捕鯨の下で捕鯨が続けられています。
鯨の部位と鯨料理
鯨体の大部分は赤身ですが、他にも様々な部位があります。刺身にするのは新鮮な赤身ですが、生姜醤油やゆずポン酢をつけて食べると美味しいです。背びれから尾までの部分は「尾の身(おのみ)」と呼ばれ、霜降り肉の高級部位で刺身やステーキにされます。「さえずり」は舌の部位で「セセリ」とも呼ばれ、茹でてからし味噌をつけて食べたりするが、関西ではおでんの具にも使用されます。「畝須(うねす)」は下顎から腹にかけての部位でプルプルした食感があり、ベーコンに良く利用されます。「尾羽毛(おばけ)」は尾の部位でゼラチン質が多く、味噌汁や茹でてからし味噌で食べます。
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