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【福岡県】【辛子明太子】とは?発祥と歴史を解説

九州・沖縄地方
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福岡県の郷土料理

「辛子明太子」はタラ科のスケトウダラの卵巣(卵)を唐辛子などを使った調味液に漬け込んで熟成させたもので、福岡県福岡市博多の郷土料理です。

熱々のご飯にそのままのせて食べるだけでなく、おにぎりの具にしたり、バターやマヨネーズと混ぜてパスタのソースにしたり、フランスパンにバターとマヨネーズを混ぜた辛子明太子を塗って「明太子フランス」にしたりと様々な料理に利用できます。

「辛子明太子」は「スケトウダラ」の卵巣(卵)を使用している事が条件で、「まだら」など他の魚の卵巣(卵)を使用しているものは「辛子明太子」とは名乗る事はできません。

「スケトウダラ」以外の卵巣(卵)を使用している場合は代わりに「めんたい」、「明太子」、「明太子風」などと表示してあるので注意が必要です。

辛子明太子
辛子明太子 / by Kanko*

「辛子明太子」の発祥・由来

「辛子明太子」はいまや博多の名産品として有名ですが、元々は朝鮮半島で食べられていた食品であり、日本でも山口県下関市で輸入されていたものでした。

朝鮮半島ではキムチやコチュジャンと同様に唐辛子を使った伝統料理として普及していましたが、昭和に入ってから日本にも輸入されて山口県下関市などで販売されるようになり、下関市では日本で初めての「辛子明太子」の専門店が誕生しました。

「辛子明太子」の発祥は日本では山口県下関市ですが、名産品として名を広めたのは福岡県福岡市博多です。

下関では「紅葉子(もみじこ)」と呼ばれる「スケトウダラ」の卵巣(卵)を塩漬けしたものに唐辛子や酒粕をまぶしたものを販売していましたが、博多では唐辛子などを入れた調味液に漬けたものを販売するようになりました。

当時の朝鮮半島の「辛子明太子」は明太子のキムチといったもので、そのままでは日本人の口に合わなかった為に、改良・工夫が重ねられて現在のような「辛子明太子」になったのです。

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博多の名産品「辛子明太子」の歴史

博多の中洲市場では昭和24年(1949年)1月10日に明太子の専門店「ふくや」が「味の明太子」と称する「辛子明太子」を販売開始しました。

創業者の川原俊夫氏は朝鮮半島で生まれ、本場の「辛子明太子」を体験していた事もあり、日本でぜひとも商品化したいと考えていました。

しかしながら、販売当初は思ったほどに売れ行きが伸びず、どうしたら売れるのかと試行錯誤する毎日だったといわれています。

当時はさんま一尾10円の時代に「辛子明太子」は一腹120円でしたので、随分高価な食品でした。

値段もさることながら最大の原因は味にあると味に改良を重ねて、現在のような漬け込み型の「辛子明太子」が出来上がったといわれています。

その後、川原氏は独自に開発した「辛子明太子」の製法を公開し、博多には数多くの「辛子明太子」を製造する店が現れ、昭和50年の山陽新幹線の博多駅開通とあいまって一躍広まり、博多の名産品となったわけです。

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