宮城県の郷土料理 「はらこ飯」 とは
「はらこ飯」は鮭の身を煮込んだ汁でご飯を炊いて鮭の身とイクラをのせた料理で、宮城県亘理郡亘理町の郷土料理です。
鮭の身とイクラを合わせるので「鮭の親子丼」ともいえますが、鮭の煮汁でご飯を炊くのが特徴です。
旬の脂の乗った鮭の身を醤油、砂糖、酒などで煮込み、その煮込んだ汁でご飯を炊きます。
そして、鮭から取り出した「筋子」もしくは「腹子(はらこ)」をほぐしてイクラにします。
次に、炊いたご飯の上に煮込んだ鮭の身とイクラを乗せれば出来上がりです。
阿武隈川の河口近くの亘理町(わたりちょう)荒浜地方では例年秋になると鮭が獲れるようになり、亘理町内の飲食店では一斉に「はらこ飯」が提供されます。
「はらこ飯」が食べられるのは10月初旬から12月中旬頃までですが、11月までが食べ頃です。
亘理町では「はらこ飯」が地元の郷土料理として各家庭でも作られていますが、地元のスーパーなどでは「はらこ飯」の時期になると鮭の切身、イクラの醤油漬け、鮭の煮汁を一緒にした「はらこ飯セット」を販売しているので、それを利用する事もあります。
「はらこ飯」を提供する飲食店では独自の味付けや工夫がされており、同じ「はらこ飯」でも個性があります。
また、「はらこ飯」は駅弁でも販売されており、仙台駅、盛岡駅、東京駅などでも購入する事ができます。
「はらこ飯」の発祥・由来
「はらこ飯」は阿武隈川河口の漁師町である宮城県亘理町で生まれた郷土料理です。
亘理町は昔から鮭が水揚げされる漁師町として有名で、江戸時代には鮭の地引網漁が盛んでした。
亘理町荒浜地域で水揚げされた鮭は良質で、地元で消費されるだけでなく、藩主や将軍家にも献上されるほどでした。
「はらこ飯」は元々亘理町の漁師が大漁の時などに漁師飯として食べていましたが、藩主の伊達政宗公が視察に訪れた際に献上した事で気に入られて評判となり、他地域にも知られるようになったといわれています。
コメント
「はらこめし」の発祥は、亘理町荒浜と阿武隈川対岸の岩沼市新浜地区
です。新浜地区には仙台藩御用達の鮭加工蔵がありましたので、こちらの方が早い可能性があります。ここで加工された鮭が公家や将軍家に献上されたのです。亘理町の鮭が直接献上された資料は無いと思います。
また鮭の生臭さを消すための濃口醤油は1700年代にならないと、東北には普及しませんでしたので、政宗が食べたのには疑問が残ります。荒浜地区が出来るのは政宗の死後で、そのころの湊は荒浜の西側の高須賀で、「はらこめし」の伝承はありません。
ただし、「はらこめし」を郷土料理から、名物の商品に仕上げたのは亘理町の人達で、この人達の努力無しには現在の「はらこめし」はありません。岩沼市では現在でも昔ながらの「はらこめし」を作っいる鮮魚店があり、濃口醤油で茶色の濃い飯にはなりますが、私はこちらの方が好きです。
コメントありがとうございます。貴重な情報提供をして下さり、本当にありがとうございます。大変勉強になりました。