北海道の郷土料理「三平汁」とは
「三平汁」は北海道の郷土料理。塩漬けされた鮭、鰊(にしん)、鱈(たら)、ほっけや糠漬けされた鰊などを大根、人参、じゃがいもなどの根菜類と一緒に煮込んだ汁料理です。
味付けは塩漬けの魚の塩味のみですが、魚の旨味が加わります。
三平汁の基本は塩漬けの魚と魚の塩味ですが、地域や時期・時代によって具材と味付けは異なります。
地域によっては酒粕を入れたり、味噌味に仕立てたり、昆布でダシを取ることもあります。
魚は身だけでなく氷頭、頭、骨などアラを加えたり、野菜はネギやごぼう、こんにゃくを加えたりする事もあります。
三平汁の由来
- 松前藩の賄い方の斎藤三平が作った説
- 有田焼の三平皿に盛り付けた説
- 漁師の斎藤三平が松前藩始祖の武田信広に振舞った説
- 松前藩の藩主が狩りに出た際に漁師の斎藤三平にありあわせの材料でつくられた汁料理説
- 松前藩藩主を武士の斎藤三平が秋田のしょっつる鍋を真似てつくった説
- 南部藩の家臣であった斎藤三平が蝦夷開拓の為に奥尻島に渡って来客をもてなした料理説
「三平汁」の名前の由来には諸説ありますが、「斎藤三平」説と「三平皿」説が良く知られています。
「斎藤三平」説とは昔、松前藩の賄い方であった斎藤三平なる人物が作ったとする説です。
「三平皿」説は有田焼の創始者李三平にちなんだ深めの大皿に料理を盛り付けたとする説です。
他にも蝦夷松前藩(北海道松前町)藩主松前氏の始祖である武田信広が享徳3年(1454)に蝦夷に向かう途中に奥尻島に漂着し、漁師の三平が塩漬けの鰊と保存した野菜を煮込んで振舞った汁料理がはじまりとする説やアイヌ語のサンペイ(心臓)が変化したとする説があります。
三平汁の歴史
- 江戸時代の文献「東遊記」(1784)に「サンヘイ」と紹介
「三平汁」の歴史は古く、江戸時代後期の文献「東遊記」に記録があります。
「東遊記」は橘南谿(たちばななんけい)著の紀行・随筆で、京都から江戸へ行き、東海・東山・北陸の各道を旅行した時の見聞録です。
「東遊記」には江戸の狂歌師平鉄東作が「サンヘイと云うは塩蔵の魚と菜大根を煮たるものを云」と記載されています。
- 「西蝦夷日記」(1803年)に「三平汁」と紹介
江戸時代末期の探検家松浦武四郎の西蝦夷日記(1803年)にも「三平汁」として記録が残っています。
「三平汁」と「石狩鍋」の違い
- 石狩鍋は生鮭を使うが三平汁は塩漬け又は糠漬けの魚を利用
- 石狩鍋は味噌味だが三平汁は魚の塩味のみ
「石狩鍋」は生の鮭を使いますが、「三平汁」は塩漬けされた鮭、鰊、鱈、ホッケや糠漬けの鰊などを使います。
「三平汁」が塩漬けや糠漬けの魚を使うのは昔の北海道で魚を塩漬けや糠漬けにして保存食として利用した名残りです。
又、「石狩鍋」は味噌仕立てですが、「三平汁」は基本的に魚の塩味だけの味付けです。
「三平汁」は塩漬けされた魚の塩味だけでなく、魚の旨味も加わって味に深みが増します。
「三平汁」は基本は塩味のみですが、昆布でダシをとったり、地域や家庭によっては酒粕や味噌を加える事もあります。
三平汁の作り方
「三平汁」の作り方は時代や地域により多種多様です。昔と今の作り方は大分違い、地域や家庭によって味付けが違います。ここでは現在の基本的な調理法を紹介します。
- 材料‐塩鮭、大根、人参、じゃがいも、長ネギ、昆布、ダシ、酒、塩、醤油
- あらかじめ昆布でダシをとる
- 大根、人参、じゃがいも、ネギを適当な大きさに切る
- 塩鮭は一口大に切る
- 鍋に大根、人参、じゃがいもを入れ昆布でダシをとった水で煮込む
- 柔らかくなったら塩鮭を入れてネギ入れる
- 最後に酒、塩、醤油で味を調えて完成
本来の三平汁は魚の塩味だけで味付けをするのですが、現在ではより簡単に美味しくなるように工夫された調理がされています。
塩鮭を塩抜きしたり熱湯や酒をかけて臭みを消したり、味に深みを出すために醤油、ダシを加えたり、味噌や酒粕を加える事もあります。
今では様々な調理法がありますが、北海道の郷土料理として親しまれています。
コメント