富山県を代表する名物
「ます寿司」は富山県の郷土料理で、鱒を酢で味付けした押し寿司です。
「わっぱ」と呼ばれる木製の曲物を容器として、笹の葉を敷いて酢飯を詰めた後、酢で味付けしたサクラマスの切身を並べていきます。
笹の葉でくるんで蓋をした後にしっかりと押して作ります。
鱒は神通川で獲れるサクラマスが使用されてきましたが、漁獲量の減少で昭和30年代以降は日本海沿岸のサクラマス、そして現在は主に北海道産のサクラマスが使用されています。
神通川で獲れる天然のサクラマスは数が少なく、今では富山県内でも原料に使用する鱒寿司店は少ないです。
鱒寿司はかつてはサクラマスが獲れる神通川流域の料理でしたが、鉄道など交通網が普及した現在では全国的な知名度が広がり、各地で販売されています。
「鱒寿司(ますずし)」の発祥・由来
「ます寿司」の誕生は江戸時代、富山県が富山藩だった享保二年(1717年)にまで遡ります。
富山藩士で料理人でもあった吉村新八が藩主前田利興に「鮎寿司」を献上したのが始まりといわれています。
これは美味しいと気に入られた藩主が八代将軍徳川吉宗に献上した所、賞賛されたそうです。
当時は鮎の寿司でしたが後には鱒の寿司も作られる様になり、「ます寿司」が富山の名物としてになったといわれています。
吉宗への献上以降、「ます寿司」は富山藩の献上品となりました。
吉村新八が作った「鮎寿司」のレシピも残されており、当時は神通川で獲れた鮎を20日ほど塩漬けし、酒で洗って塩出ししてから米飯と塩に12日間ほど漬け込みます。
そして、提供する前日に取り出して新しいご飯に塩と酒で味付けして鮎と一緒に出します。
駅弁「ますのすし」
「ます寿司」が富山県を代表する特産品として全国的な知名度を得たのは鱒寿司の駅弁による所が大きいです。
明治41年、近代化が急速に進み鉄道網も整備される中、富山駅構内でホテル経営をしていた「源(みなもと)」が駅弁の販売を始めました。
明治45年(1912年)には駅弁「ますのすし」を販売するようになりました。
その後、戦争や恐慌などの影響を受けながらも高度成長や駅弁ブームの恩恵を受けて、徐々に人気を得て全国的にも知られる駅弁となりました。
昭和37年(1962年)には「ますのすし」誕生から50周年を迎え、既に現在の箱型のパッケージで販売されていました。
平成24年(2012年)には「ますのすし」誕生100周年を迎え、歴史と伝統のある駅弁として親しまれています。
「鱒寿司(ますずし)」の消費期限
鱒寿司の消費期限は商品によって多少の違いはありますが、一般的には製造日を含んで常温で2〜3日です。
寿司といっても現代の握り寿司とは違い、昔からの保存食の意味合いが強い「すし」なので少々の日持ちはします。
昔は冷蔵庫もない時代に遠方まで持ち歩くこともあったので、すしは保存するための料理として普及したわけです。
鱒寿司は酢を使うので昔のすしとは異なりますが、酢と塩を使用しているので常温でも2、3日は大丈夫というわけです。
夏場は2日、それ以外は3日の消費期限が設定されている事が多いです。
直射日光の当たらない涼しい場所で保管する事が望ましいですが、夏場の猛暑でどうしても冷蔵庫で保管する場合は新聞紙につつんで野菜室に入れておきます。
コメント
ます寿司の歴史が大変分かりやすく解説されており、大変参考になりました。
仕事の上で、よくお客様に聞かれます。今後は、今回の内容を参考にして
自分なりにアレンジしてお話したいと思います。