明石焼き

兵庫県明石市の郷土料理

「明石焼き」は鶏卵、小麦粉、沈粉又は浮粉、出汁を混ぜた生地にタコを具に入れた料理です。外見は「たこ焼き」に似ていますが、柔らかくて平べったい形で、ソースやマヨネーズなどはつけずに一緒に出された出汁をつけて食べます。鶏卵をたっぷり使うので地元では昔から「玉子焼」と呼ばれています。全国的には玉子焼といえば出汁巻き玉子のようなものを指しますが、明石や東播磨地方ではもっぱら「玉子焼」とは「明石焼き」の事です。最近のグルメブームや食文化の広がりもあり、明石の「玉子焼」は一般的な「玉子焼」と区別して「明石焼き」と呼ばれる事が多くなりました。市内には70軒以上の「明石焼」を提供する店があり、明石の食文化として定着しています。


DSC_5616.JPG / imgdive

 

「たこ焼き」のルーツは「明石焼き」


明石焼はたこ焼きの先祖 / takamorry

「明石焼き」の特徴の一つが中に入った具のタコですが、「たこ焼き」は「明石焼き」を参考にして生まれた料理です。大阪「会津屋」の遠藤氏はコンニャクなどを入れた「ラジオ焼き」、牛肉を入れた「肉焼き」を作っていましたが、ある時お客から「明石焼き」の話を聞き、タコを具に入れる事を思いつきました。こうして小麦粉を水に溶いてタコ、ネギ、紅生姜、天かすなどを入れた「たこ焼き」が誕生したのです。「たこ焼き」の生地自体はそれまでの小麦粉の生地を鉄板で焼く「どんどん焼き」や「一銭洋食」の流れを汲むものですが、最大の特徴ともなるタコは「明石焼き」からヒントを得たものです。「明石焼き」は「たこ焼き」の直系の祖先というわけではありませんが、さながら多大な影響を与えた異国の料理といったものでしょうか。

 

「明石焼き」の起源

「明石焼き(玉子焼)」の起源は明石地方に江戸時代の末期から始まった「明石玉」の生産にあります。「明石玉」とは硝石や滑石などの粉末と卵白を原料とした模造珊瑚の一種です。江戸時代末期の天保年間に江戸のべっ甲細工師の江戸屋岩吉が明石に滞在した際に、あまりの寒さで割れた卵が固まってしまうのをみて「明石玉」を作る事を思い立ったといわれています。「明石玉」は硝石などを卵白を接着剤として固めるもので、高価な珊瑚の代わりにかんざしなどの装飾品に使われました。製造には大量の卵が使用され、卵白のみが取り出されて黄身が残ってしまいました。これはもったいないという事で「明石玉」を製造する鍋を流用して「明石焼き(玉子焼)」を作り始めたのではないかといわれています。明治時代には屋台で販売される様になりますが、大正時代には大正8年から「明石焼き(玉子焼)」の屋台を営業していた向井清太郎氏の「玉子焼」はとりわけ評判がよく、遠方からも多くの客が訪れたそうです。

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